☆みたきいたよんだ


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≪映画≫


隠し剣 鬼の爪

Director: 山田洋次 / Writer: 山田洋次、朝間義隆 (原作:藤沢周平)/ Cinematographer: 長沼六男

決して高級ではないが、ある種老舗と呼ばれて人気を博しているようなお店でご飯を食べると、「ふーん、こんなもんかな」と思うことがある。味もサービスも悪くないのだが、それほど騒ぐほどのこともないな、と軽い失望感を覚えたりするのだ。しかしそういう店の中には、しばらくしてまた行ってみたくなるものがある。特にインパクトがあるわけではないが、どこかくつろげる感じ。そういう言われ方は製作者的にどーかという気がするけど、俺の中ではポジティブなんです、これ。

永瀬正敏演じる片桐は、腕は立つが頑固で融通の聞かないところのあるある東北の藩の武士。松たか子のきえは、かつて片桐の家で女中として働いた後商家に嫁いでいった娘。このふたりのもどっかしいような関係を縦軸に、幕末の世を生きていく人々の姿…みたいな物語だが、俺の印象では藩に仕える武士という階級社会で、自分の誇りや感情をどう処していくかという、サラリーマン的共感を呼びそうなお話だ。どこかに掲載された山田監督の話では若い層を意識して撮ったというのを読んだが、やはりグッとくるのは多少年代が上の層ではないだろうか。まあ、そんなことはどうでもいい。丁寧な演出、撮影(街も美しい)で途中はらはらさせられたりホロリときたりと、わかりやすいけれど手応えのある作品になっている。何か新しいものがあるかと言われれば…ちょっとわからない。でも老舗の蕎麦屋で変な創作料理食いたくないしな、という感想を持って映画館を出ました。2軒目はちょっと変わったところ行ってみようかな、とも思いつつ。


Team America: World Police

Director: Trey Parker / Writer: Trey Parker,Pam Brady / Cinematographer: Bill Pope

サウスパークのスタッフがサンダーバードを作ったらこうなる、という一本。とにかく金正日からマイケル・ムーア、アメリカ人俳優陣からはアレック・ボールドウィンをはじめマット・デーモン等々あらゆるキャラが登場する。(俳優陣ももちろんんキャラとしてで、完全におちょくられてます)出だしの部分ではちょっと反戦的な方向にも見えたのだが、実際のところこれはゼロ・ポリティクスの「いてまえ映画」と言った方が正しいと思う。俺が観た回は平日で観客も少なかったが、土日に行った人の話によるとほぼ最後まで大爆笑大会だったようだ。とりあえずこれでスカッと笑ってスッキリしたところで、「で、今のイラク政策どーよ?」と考え始めるのが健全なところだろう。しかしこの会話、結構お下劣&ヤバヤバなんですが、日本版はどうやるのかね。俺は吹き替えで観るのは好きではないが、これる限っては興味津々であります。


残菊物語

Director: 溝口健二 / Writer: 依田義賢 / Cinematographer:三木滋人、 藤洋三

1939年の松竹作品をNYのジャパン・ソサエティの「スーザン・ソンタグ選集」で見たのだから、ちょっとややこしい。しかし面白かった。古典的悲恋物の世界に引き込む語り口は、究極的な職人芸のように感じる。セリフの長いワンカットも飽きることがない。まだまだ見るべきものは多いな、と思わされた一本でした。


p.s.

Director: Dylan Kidd / Writer: Helen Schulman (novel) Dylan Kidd (screenplay)/
Cinematographer:Joaquin Baca−Asay


監督のディラン・キッドはまだ若干35歳。前作「ロジャー・ドッジャー」(見てません)の好評から期待が集ったが今回は凡作、というのが評論家筋の見方のようだ。しかしその辺俺はよくわからんが、なにか見所のある一本だとは思う。奇妙で地味な恋愛の心理とか、どうなっちゃうんだと気にさせる加減とか、いい球投げてるんだけどもうひとつ、という印象が残る。主演のローラ・リンのパッとしない女ッぷりの上手さ、若いトーファー・グレイスの無邪気なしたたかさとか、いいネタは揃っている。俺としては前作を見つつ(そのうちね)次回もチェックという姿勢で臨みたい。(政治家かよ…)


End of the Century

Director: Jim FieldsMichael Gramaglia

先日ギターのジョニーが亡くなって、既にオリジナルメンバー4人のうち3人が鬼籍(古いか)に入ってしまった。インタビューやライブなどの映像で綴られるこのドキュメントは、ラモーンズというバンドと同時に上手に実を結ばなかったアメリカのパンクシーンについて語ってくれている。思えばこのバンドって、ある種パイオニアでありながら常にB級な扱いを受けてきた、「ど真ん中のあだ花」(わかるかなぁ…)みたいな存在だった。その辺が哀しくもありトホホでもある。インタビューに登場したジョー・ストラマーの姿と妙な対をなしているような。彼が亡くなったのも哀しいことではあるが、なんかパンクロッカーとしてちゃんと投げきったな、という感慨はあるのである。しかしこれ日本に来るかな…微妙なスラングとか字幕でもう一回見たいのだけど。


誰も知らない Nobody Knows

Director: 是枝裕和 / Writer: 是枝裕和 / Cinematographer: 山崎裕

映画の前半部あたり、この家族はなかなか幸せそうに見える。新しいアパートに引越してくるやり方は少々奇妙には思えたが、全員で食卓を囲んで一家のルールを話し合い、それから実に楽しそうに時間を過ごしている様子を見ると、今どきの家庭よりもよっぼど家族として機能しているように感じられた。そこにはカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を獲った柳楽優弥(長男役)だけでなく、母親役のYOUや他の子供たちが作り出しているこの家族の空気が、映画的にはとてもリアルだからだろう。

しかしこの家族は間違いなく不幸に向かって進んでいる。そりゃ今の世の中で学校に行く意味なんて大したことないかもしれないが、戸籍もなんにもない状態で生きていくのはどう転んでもマズイ。少なくとも万人に薦められる人生(そんなものあるとは思わないが)ではない。しかしこの家族のように、幸せに暮らしながらその奥で不幸を育てているというのは、実は誰にでもあることなんじゃないだろうか。この映画のリアリズムは、単に「子供たちの自然な表情」などだけでなく、その点にあるのではないかと思う。(逆に人物演出の良さが、映画のリアリズムを作り出しているとも言えるかもしれないが)

ただリアルである、ということが映画における最優先事項だとは思わない。唐突な例ではあるけれど、黒澤映画の不自然な台詞回しが観客を一気に物語の中へ連れて行ってしまうように、それはあくまでも「語り口」の問題だ。是枝監督が、この映画において「リアル」という語り口を実現したその手腕は素晴らしいと思う。ただそれがこの映画への賞賛の全てというのはちょっと寂しい気がする。ドキュメント(ではないのだが)を見て「人物の表情が真に迫っていたね」と言われてもあんまり嬉しくないだろうし。
(ここからネタバレあるかも)

この映画に関するコメントなど見聞きしていると、死んでしまった末っ子のゆきの扱いについては意見が分かれるようだ。常々空港に行ってみたいと言っていた彼女を、好きだったお菓子と一緒にトランクに詰めて、空港の見える川辺に埋葬するという映画的ファンタジーな展開に違和感を感じる人もいるようで、それはそれとして理解できる。しかし俺は、そういうエピソードでもなければ明(長男)が救われないように思えるのだ。確かにおセンチな展開とも言えるかもしれないが、この物語を映画として終わらせるためには悪くない処置だと思う。モデルとなった人物たちはまだ実際にどこかで暮らしているわけで、どこかでフィクションとしての蓋をしておくことも必要だったではないろうか。

ともかく久々に長い読後感の続いた映画だった。さっき書いた不幸とか幸せとかリアリズムのこととか、いろいろなことを考えさせられて、それがまた楽しくもあった、というのはここのところなかった感覚だった。是枝監督は、そのドキュメンタリー的素地と、映画的ストーリーテリングの力量という点では気になる人だ。(「幻の光」「ワンダフルライフ」とかも見てないんだよな…)

初めて行った有楽町シネカノンは、ビックカメラの上ということでハッピ姿のスタッフとかいたら嫌だな、とか思っていたら、いかにもミニシアター的ミニシアターで鑑賞は快適だった。映画を見終わって駅前の雑踏に立つと、少しだけ人の作る風景が変わって見えた。


華氏911 【Fhrenheit 9/11

Director: Michael Moore

オーストラリアで見てから2回目。俺の英語力では専門用語や細かい話を聞き逃しているはずだから一度字幕付で見たかった。で、改めてでもないのだが、前作「ボーリング・フォー・コロンバイン」に比べるとレベルは落ちる。しかしそれを「ブッシュへの突込み方が悪ふざけでしかない」「どれも既に知られている」というだけで判断したくはない。どこかの評論家が「純粋に映画としてみれば駄作である」と述べていたが、この「純粋に」という基準に、どこかお目出度いものを俺は感じてしまう。そういう芸術原理主義みたいなものが映画の雑多な活力を奪ってしまうような気がしてならない。

この映画は自国の大統領ーそれも多分世界でいちばん強いーに喧嘩を売るものだ。売り方としてはもっとスマートな方法も真面目なやり方もあっただろうが、そのどちらも選挙前のなりふり構わぬ両陣営の攻勢の中ではかすんでしまったのではないかと思う。考えてみれば全米ライフル協会のチャールトン・ヘストンに突撃インタビューはできても、現役大統領にはちと無理な話だ。最初にこの映画を見たときには、プライベートビデオ等の映像資料の豊富さに驚いたが、実際ムーアが自ら取材することはなかなか難しかったのではないだろうか。手元にあるもので勝負するしかない、とするとそれを活かす最も効率的な手段は効だったのかもしれない。2度見たことで評価が甘くなっているー期待感がない分、再評価しちゃったりするのだー気がしないでもないが、扱われているテーマを考えるとやっぱり「純粋に映画として」とか言ってはいられないはずだ。

ふと、俺の手元に全く同じ映像素材があったらどう編集しただろう、と考えたりもした。多分後半登場する息子を亡くした女性を早めに組み込んで、ブッシュの主張と市民に起こっていることのギャップをメインに扱う手もあったかもしれない。そもそもブッシュがいかにアホに見えるかという部分は実はあまり重要ではなく、むしろ戦場での犠牲者や兵士をクローズアップした方が強かったかもしれない。そんな風にいろいろ考えさせられるのは、この映画のひとつの力だと思う。その意味では社会の中で機能している作品だ。今年の選挙が終わった後、もう一度この映画のことを考えてみようと思う。しかしマイケル・ムーア、熱を入れるあまり今回はちょっと持ち味のユーモアが生きていなかったかもしれない。「悪ふざけ」とか評されるなか、オーストラリアの知人の「何か講堂に集められてレクチャー聴いてるみたいで退屈だった」というコメントが妙に耳に残っている。


フォッグ・オプ・ウォー マクナマラ元国防長官の告白 
【The Fog of War: Eleven Lessons from The Life of Robert S. McNamara

Director: Eroll Morris

プロローグとエピローグに挟まれた11のパートからなるこの映画は、マクナマラというハーバード出の秀才の能力がどのように戦争に関ってきたかを客観的に、具体的に語っていく。データ等の事実関係もしっかりしていて、ある種歴史の授業を受けているような感覚も覚えた。第2次大戦中の話−東京、そして日本の他の都市への空襲、それから戦略上の必要性は希薄だった原爆の投下など−が語られる場面では、さすがに「なぜそんなことを!?」という生っぽい感情が沸きあがってはきたが(マクナマラ自身はその攻撃を疑問視していたそうだが)、全編を通じてドキュメントとしての誠実なメッセージには納得する部分が多かった。

そういう意味では完成しているのだろう。アカデミーの長編ドキュメンタリー部門での受賞も頷ける。安易なヒューマニズムの入り込まない語り口は、ややもすると感傷的、扇動的な物言いが幅を利かせる今の時代状況でとても貴重なものだ。ほんとのところ、もう少しマクナマラの感情的、倫理的なコメントを覗きたかった気もするのだが、それは別のカメラの仕事なのだろう。

よくできたドキュメントを見ると、映画でも小説でもフィクションの作り手たちはどうやってそれに匹敵するメッセージ−心に残ること、という意味での広いものだけど−を伝えていけばいいのだろう、といつも思う。だからこそ人間の感情を安易なやり方で描いてちゃダメなのだ、きっと。

この映画を見た日はちょうど9月11日で、同じ劇場で上映されていた「華氏911」は午後3時過ぎの時点で深夜の回近くまで売り切れ。監督のエロール・モリスはまだそれを見ていないとインタビューで語っていた。このふたつの映像作品は、そのテーマにおいて重なる部分はあるものの、全く異なる道を歩いている。しかしそれを比べることよりは、じゃあ自分の国にはどんなものがある、ということが気になってしまう。何だか重いなぁ…でもその重さ、あまり嫌ではない気もしているのだ。しばらく背負って歩いてみようかな、俺なりに。


Coffee and Cigarettes

Director: Jim Jarmusch / Writer: Jim Jarmusch

調べてみるとジム・ジャームッシュは以前3本同名の映画(Coffee and CogaretteとそのU&V)を撮っていて、しかも今作にも出演しているロベルト・ベニーニも出てたりしてその辺の関係がよくわからない。勉強不足でスンマセン。で、映画自体はコーヒーと煙草が小道具のくせにデカイ顔して話が進む短編オムニバス形式で、話によって面白いものも寝てしまいそうなやつもある。ただ全体を見終わっての印象として、何か温かいものが残った。どのエピソードにもドラマチックな話はなく、どっちかというは人前では見せないしょぼくれた時間の集大成だが、そこに人という生き物へのやさぐれた愛情みたいなものを感じるのだ。まああまりにもジャームッシュ的と言えなくもないが、前々作の「ゴースト・ドッグ―ザ・ウエイ・オブ・サムライ」を見ちゃった身からするとマンネリでもワンパターンでもいいじゃん、と思う。スタイルとしてイノベィティブであることよりも映画を物語る視点の切れて頑張って欲しい。日本では果たして公開されるかな、という感じの一本だけど、忘れたことを思い出すような味わいがお薦めです。しかし出てくる奴ら皆、どーしてあんなに砂糖入れるのかね。


The Man On Fire Dir: Tony Scott   Writer: Brian Helgeland  DP: Paul Camerom

 

トニー・スコットと言えば、誰にも判りやすいアクション、サスペンスが持ち味だったと思っていたのだが、このざらざらした編集はどうしたのだろう。特に後半のスラム街のシーンなどは「シティ・オブ・ゴッド」の焼き直しみたいに思えて仕方なかった。

 

復讐、というのは物だかリを作るうえで明快なテーマだ。ファニング演じる娘ピータが思いっきり愛らしさを振りまいた後なら、ガンガン人を殺しても観客はOKだろう。ただ一度そのゴーサインがでてからは、デンゼル・ワシントン演じいるジョン・クリーシィはただ機械的に目的を遂げていくだけだ。(まあ元暗殺者という設定だから、おかしくはないのだろうが)時折インサートされるピータの映像で苦しみや葛藤を表現している、というのは都合がよくないか。前回のI, Robotにもあったが、過去の「トラウマ・インサートカット」でその辺見せてしまおうという語り方には、ちょっと表現者としての甘さを感じてしまう。(製作サイドが重くしたくない、とか事情もあるのだろうが)しかし何だかんだ言っても、最後まで持続するテンションの高さには手だれの技がある。役者もハイレベルだし。でもあと30分短いといいんだけど。しかしダコタ・ファニング、うますぎる!と言っても別に手放しで賞賛しているわけではなく、自分のはまりキャラ(ちょっと悪戯っ子ぽくて、まっすぐに純真)をしっかりこなしている感じで、ストーリーといまいち融合してない気がするのだ。ふうむ。

 

どうでもいいけど今時よくタバコを吸う映画だ。記者発表をする警察の担当官から病室の中で火をつける刑事まで、久々に吸いまくる映像を見た。これは舞台がメキシコだからなのだろうが、のべつまくなしタバコを吸っていた昔のハードボイルド映画への郷愁みたいな物があるのだろうか。

 

 

I, Robot  Dir: Alex Proyas DP: Simon Duggan

 

(ネタばれあるかも)

情けないことに英語版だとSF用語(造語も含めて)全く歯が立たない。おまけにウイル・スミスのしゃべりも時々わからない、と言い訳を振ったうえでコメントします。ロボットが感情を持ったら、という設定は古典的ながらやはり興味をひかれる。(タイムマシンものとかと同じかもしれない)しかし映像を見ていると、なんだかストーリー性のあるテレビゲームのような印象だ。最後のオチ(じゃなくて、結末と呼ぶべきか...)も近未来ものには毎度お馴染みな感じで、あまり意外性がない。とりあえず退屈はせずに見終えることはできたが、それじゃあんまりってものだろう。デジタル三昧のスクリーンを見ていると、どんな展開も「まあ、そういうのもあるかもね」という気になってくる。思うにこういうロボットものこそ映像の奥行きや味わい、自然な美しさを大事にした方が正解ではないだろうか。

 

こういう映画は一種の「解釈の素材」であるような気もする。穿った見方をすると、最後に橋のもとに集結するロボットたちの姿は宗教的解放をイメージさせる。ロボットをある種の人種差別になぞらえて捉える向きもあるかもしれない。その辺突っ込んでいくと段々と話が重くなるのだが、まあそう考えさせられるまでは行き着いてない(別にそれがいいとは思わない。エンターテイメントとして振り切ってくれればそれでOKなのだけど)。

 

しかし最近のハリウッド映画で増えているプロダクト・プレイスメント(マ?[ケティングとしての商品露出)が目についた。JVC(ビクター)、コンバース、アウディ、フェデックス等のロゴがはっきり見えている。俺は別に構わないけど(いろいろ資金繰りもあるだろうし)あまりあからさまなの興ざめだ。せめてもうちょいスマートにやれないものだろうか...まあそれは本質的な問題じゃないか。

 

 

The Stepford Wives Dir: Frank Oz / DP: Rob Hahn / Written by: Paul Rudnick (book by Ira Levin) /

 

Starring: Nicole Kidman, Bette Midler, Matthew Broderick, Christopher Walken, Faith Hill, Roger Bart, Jon Lovitz and Glenn Close

 

古いSFを見ている(というか実際原作的にはそうなんだけど)のような奇妙な映画だ。前半の展開はかなり荒唐無稽で正直ちょっと引き気味で見ていたのだが、中盤ニューヨークの敏腕プロデューサーだったジョアンナが黒い服を着るのをやめて「古き良き妻のあり方」を身につけようと努力し始めた辺りから物語にギアが入ってくる。ほとんど先の読める展開だが、芸達者が揃って最後まで持っていった感じだ。

 

ニコール・キッドマン演じるジョアンナは、厳しくエグイニューヨークのメディア界で鳴らした超現実はという役柄。しかし俺はいつも彼女を見ると、現実感のないお人形さんみたいな女優に感じてしまう(しゃべりかたのせいかもしれない)。そのギャップと言うか持ち味がこのストーリーには合っていたのだろう。これがジュリア・ロバーツだったらマジなお話しになって納まりがつかなくなるような気がする。

 

このステップフォードという街で具現化される古き良きノーマン・ロックウェルとマーサ・スチュワートの雑誌を足したようなアメリカの価値観は、あの国の潜在意識としてまだ生きているのだろうか。またその対極にあるようなアメリカのリアリティ・テレビショープームなどは、小道具としての社会背景として周到に使われている。しかしこの箱庭的な物語世界は、もしかしてフランク・オズのキャラ?Nターなのかもしれない。原作は1975年に一度映画化されている。その年代での描き方がどうだったか、ちょっと興味深い。(ジョアンナ役はキャサリン・ロス!)しかしベッド・ミドラーは何だかウーピー・ゴールドバーク化しているなぁ。

 

 

Fahrenheit 911 Dir: Michael Moore

 

見に行ったブリスベンの映画館は、小ぶりのオペラハウスのような古めかしい作りのちょっとマニアックな劇場だ。前回のスパイダーマン2のところもそうだったが、チケット窓口 でボップコーンや飲み物を一緒に売るので時間がかかる。どうも効率悪いと思うのだが(後で買い足そうと思ってもまた並ばないといけないしね)何か利点はあるのだろうか。おまけに入場もかなりゆるゆるで、これならチケットなしでも入れる感じなのだが、まあその辺はこっちのやり方があるのだろう。

 

細かい政治的発言の部分の英語はちょっと難しくて全部が理解できたわけではないけれど、興味深い映画だった。というか

そういう言い方しか思いつかない。俺はブッシュ自身を指示するわけではないが、前半部分での彼のおちょくり方はいささか表面的に思えた。しかし後半からの取材、事実をたたみかけていく展開はなかなかよくできている。「映画」という観点で評価するのは俺はしっくりこないのだが、ドキュメントとしては力作だと思う。 だいたいあれだけの映像を集めたところは並じゃない。殆どブッシュのプライベート映像みたいなものまである。

 

前作「ポーリング・フォー・コロンバイン」もそうだったが、マイケル・ムーアは別に世界的な正義とかを振り回しているわけではない。いちアメリカ人としての「何か変だぜ、それ」が根本にあるところがこのフィルムのポピュラリティにつながっているのだろう。その辺の素朴というかよく計算されていると言うか、彼の粘りと用意周到さがこの一本を世に出したのだろう。クレームや訴訟に備えてのチームも組んだわけだ。(逆にそれぐらいしないと結構危ないのだろう。かなり際どい内容もあるわけだし)

 

前回BFCに比べて批評は若干厳しいようだ。表面的、ふざけている、特に目新しい情報がない、というコメントをいくつか目にした。しかしアメリカのメディア(映画の中でも批評されているが)の状態、そしていわゆる「一般の人」の認識を考えると、インテリの民主党員以外は ブッシュ家とサウジの関係などあまり知らないのではないのではないだろうか。(あくまで推測だけど)多少のおふざけや既知の情報は、メッセージを伝えるために必要だったような気がする。これはまず、アメリカ人によるアメリカ人のためのドキュメントなのだと思う。一方他の国のょっと自分の国のことを振り返ってみる、というのがこの映画の有効な使い方なのではないか。しかし「自分たちの大統領を信じる」と発言したブリットニー・スピアーズ、アイドルとしてのコメントとはいえ「やれやれ」という感じで劇場内でも失笑がもれていた。それに比べるとBFCのマリリン・マンソンかっこ良かったな。

 

スパイダーマン2 <Spider-Man 2>  Dir: Sam Raimi  DP: Bill Pope

 

前作がそれほど面白かったわけではなかったので、そこそこの期待感で行ったのが良かったのかもしれない。かなりどうってことない出来で周囲の評判もいまいちだ。スパイダーマンという存在が既存のものになった今回は、人知れずヒーローであり続けることの苦悩みたいなものを取り込んで入るが、子供っぽさが?ツきまとってもうひとつ心に響かない。ただ主人公ピーターのあまりに報われない毎日に多少の共感は得られるかもしれない。もうひとつ、というか二つか三つ深さがあったらまた違った映画になったかもしれない。後半では次回作の展開を予感させるような場面があるが、もういいよ、というかそんな仕掛けより今作を締めることが大事なはずだ。唯一良かったのはカートゥーン風のビジュアルを使ったオープニング。これは結構クールだ。マンガにはあった影のようなものが映画化で失われたのは皮肉なことだ。ところで大昔、俺は日本版のマンガになったスパイダーマンを読んだことがあるのだが、誰か記憶にありますか?ちょっとダークで良かったのだが。

 


21g 【21Grams

Director: Alejandro Gonzales Inarritu / Writer: Guillermo Arriage / Cinematographer: Rodrigo Prieto

「誰もがいつか失う重さ」というコピーは幾分この映画を難しいものに感じさせてしまっているのではないだろうか。俺はどちらかというと「人生の軽み」の方に興味がある性質なので、興味はあったのだがそれほど期待感を持っていなかった。しかし見始めると面白い。話の展開は時間軸の前後するメメント式(?)で最初は誰がどうで何で請うなっいるのか見当がつかない。しかしそれを飽きさせないのは映像とテンポの緊張感だろう。しかしストーリーがつかめてきてからも最後までその緊張感は途切れない。カメラワークも気持ちいい。撮影のロドリゴ・プリート(?)は「25時」や「8マイル」など気になる作品を撮っている。このメキシカン・コンビはちょっと注目だ。

ただメメントは「記憶喪失の男」という時間軸に沿って描かれているのに対して、この映画は「人間がこういう事態に巻き込まれたら頭の中はどうなるのか」という感覚の時間軸に支配されているように思える。結果的にこの編集はトリッキーでもアバンギャルドでもなく、この映画と一体になった“自然な”ものに感じられた。ある意味で映画らしくもあり、また新しい顔も持った一本だ。監督の出世作(?)「アモーレ・ペレス」を是非とも見たくなった。シャルロット・ゲーンズブールもすっかり大人になって、でもイギリス英語うまいな、と思ったら生まれたのはロンドンだった。


ロスト・イン・トランスレーション 【Lost in Translation

Director: Sophia Coppla / Writer: Sophia Coppla / Cinematographer: Lance Acord

公開後にニューヨークで大評判といった世評の布陣に囲まれて、見たいとというより見なくちゃ、という感じになっていた一作。正直言って退屈だった。中盤以降のずるずるとした展開は、都会の孤独や違和感、疎外感とやらの洒落た表現なのだろうか。しかしシャーロット(スカーレット・ヨハンセ)が、パーティやら京都やらあちこち行きながら常に空虚な表情なのは、自ら感情のチャンネルを閉じているとしか思えない。そういう状況では何も心に届きはしないのではないだろうか。ハリウッドスターのボブことビル・マーレイの場合は多少理解できる。滅茶苦茶な通訳と妙にハイテンションなCMディレクターとの仕事の後は、ホテルにカーペットのサンプルを送ってくる妻。こんな状況に置かれたら、朝から晩まで溜息をつき続けたくもなるだろう。(しかしあんなCMスタッフいないよ。撮影に協力した東北新社にジレンマはなかったのだろうか)それにしても、そこまでブルーになるものか、という疑問がふつふつ沸きあがって、気持ちよく映画の中に入っていけなかった。

ただし見ることは退屈だったが、この映画について考えることはちょっと違う。外資系企業で働いている知り合いは、「あれこそ俺がいつも日本で感じていることだ」と共感の弁を聞いたそうだが、その話はわかる気がする。また、沢木耕太郎は新聞の映画評欄で「日本人の描き方はそれほど酷くない。彼らにはこういう見え方をしていると受け取る方がまともだ」(ちょっと前の記事なのでうろ覚え)とコメントしているが、事実描写としての正確さと、主観表現としての偏りは分けて考えるべきで、そう素直に受け入れちゃっていいのかよ、とも思う。

素直な見方といえば、実はボブやシャーロットが感じた疎外感は東京ではなく自分の身内からのものではないかと思う。家庭という形に囚われた妻との会話、気持を理解してくれない(しかも浮気をしていたフシのある)売れっ子カメラマンの夫。彼らとの関係がもっと温かいものだったらこの街の印象は随分違っていたはずだ。そこのところを東京のせいにして欲しくないな、と思ったりして。

だからと言って日本やその首都の肩を持つわけではない。俺は東京出身ではないが、それにしても「あの程度の疎外感」は日本人もしょっちゅう感じていることじゃないかと思っている。ちょっと言葉が通じないからって大袈裟すぎるよ、というかそれは巨大な島国アメリカの人間ならではの反応なのかもしれない。(この辺は日本人の外国語アレルギーと表裏一体のような気もするなぁ)

ふと思い出すのはジム・ジャームッシュの「ストレンジャー・ザン・パラダイス」。あまり細かい状況描写はないが登場人物の心情はひりひりと伝わってきた―ような気がする。どこか切迫感がないんだよな、というかハイレベルの学生映画(ざっくりした例えだけど)のような印象が残って仕方がない。

カメラのランス・アコードは、元旦那スパイク・ジョーンズの「マルコビッチ」や「アダプテーション」、それから「バッファロー66」などを撮っている。映像作りのセンスという点では選球眼がいいのかもしれない。「バージン・スーサイド」のエド・ラックマンもよかったし。

しかし何だか散漫な感想をずるずる述べているだけになってしまった。自分自身もちょっとこの映画の中でロストしているかもしれない。うーん。


キル・ビル2 ザ・ラブストーリー 【Kill Bill VOL.2

Director: Quentin Tarantino / Writer: Quentin Tarantino, Uma Thurman / Cinematographer: Robert Richardson

クレジットを読んでいて気づいたのだが、脚本にはユマ・サーマンも入っている(前回もそうだった)。確か彼女は仏教徒だと思ったが、それはタランティーノの東洋趣味とどこかで接点があるのだろうか(かなりの変化球ではあるけれど)Vol.1が好きだった人間にはあまり評判がよくないようだが、俺は割と楽しめた。

例えば荒野のトレーラーハウスに住むビルの弟(マイケル・マドセン)を巡る一連の映像。たいした説明はないのだが、どこか懐かしく感じる。もちろんあんな場所でストリップバーの用心棒なんかした経験はないけれど、そこには俺が昔から見てきた映画の印象と共鳴するような何かがある。Vol.2の描写は前回のこれでもか!なやり過ぎ感に比べるとごくごく真っ当、淡々としている。そこが不評なのかもしれないが、その淡々さの奥には共有財産のような映画の記憶があるような気がして、割と素直に入り込むことができた。そうやって振り返ると、どこまでも映画オタクのアメリカ人が切り口を変えて作った2本がキルビルだったのかもしれない。上手くまとめたな、タラちゃん。(という俺も何とかまとめちゃってるけど)

留学していたときの同級生にスイスから来たユマ・サーマン似の綺麗な学生がいた。綺麗なんだけど、本物よりちょっと顔が長い、ということで俺は密かに「ウマ・サーマン」と呼んでいた…ごめんなさい。英語の発音上”Uma”はほぼ「ウマ」ですしね。


エレファント 【Elephant

Director: Gus Van Sant / Writer: Gus Van Sant / Cinematographer: Harris Savides

水曜のテアトル系は男女問わずに1,000円均一。そのせいか朝一番の回も結構混んでいた。こういう映画に人が集るのは悪いことじゃない、と思って見始めた。日常のホントなんでもない時間を描いているのに、全く飽きることなく静かに引き込まれる。先に見た「きょうのできごと」と対照的だ。しかし後半、少年二人による銃乱射という物語が始まる辺りからその引力は減少し始める。正直言うと、少しつまらなくなってくる。別に事件の真相や結論、まして教訓などが欲しいわけではないが、その映画なりの答というかゴールみたいなものが見えてこない。それともガス・パン・サントは、そこから先は見る人間の仕事として取ってあるのだろうか。俺としては物語の内側からの視点だけでなく、もうひとつ外からの目線が欲しかったのだが。でも繰り返しになるが、何気ない日常をあれだけ印象的に描けるのはやっぱり並じゃない。刻むリズムはラリー・クラークなどと全くの対極にあるのだが、そのリアリティ(あくまでも作られたものであるとして)には負けない切れ味がある。


きょうのできごと a day on the planet

Director: 行定 勲 / Writer: 行定 勲、益子 昌一 (原作:柴崎友香) / Cinematographer: 福本 淳

「映画は時間の芸術だ」とコメントしたのは大島渚だったような気がする。俺が「映画鑑賞の達人」と勝手に思いこんでいるある知り合いは、「映画には編集というものがあって、そこでは時間を支配することができる」とも言っていたが、どちらも同じようなことを語っているのではないだろうか。

この映画が描こうとしている「ささやかな日常の出来事たち」(公式サイトより)は、時間というものと密接な関係にある気がする。俺はひとつひとつの物語よりも、その時間というものの扱い方について興味を持った。しかし正直、物足りないという印象が残る。作り手としての志は高いと思うのだが、もうひとつ消化不良だ。せっかく110分の時間を支配できるのに、その扱い方が中途半端で編集前のラッシュフィルムを見たような気分だ。出来事の順序や絡みかた(ニュース現場と視聴者としてなど)に切れがない。なんだか照れがあるんじゃないだろうか。「めぐりあう時間たち」ではないが、こういう場合は確信犯的にある種強引に作っていくことが必要だと思う。「賢い観客の皆さんご察しの通り、時間を切ったり貼ったりしていきますよ。見抜かれていたって構いません」と宣言してかかった方がよっぽど効果的になるのではないだろうか。

ひとつひとつの物語につていは、もう好みの問題なのかもしれない。劇場の観客は結構うけていたが俺はちっとも笑えなかったし、田中麗奈と伊藤歩のハイテンションぶりも頭が痛かった。妻夫木聡は無難にこなすという感じで、「ジョゼ」のときと一緒じゃん、という印象あり。サイトの製作記を読んでいると役者たちは関西弁を使いこなすためにかなり頑張ったようだが、その分本当に大事な表現の部分が今回は弱くなっていないだろうか。全般的に一所懸命さは感じるのだが、もうひとつ抜けないと、「ささやかな出来事」という支流を大きな川の流れに結びつけていくのは難しい。

ただ京都の家のセットは良かった。あんなところにちょっとの間だけ住んでみたい。(長いとキツそうだけど…)鯨の話ももう少しうまく使えたのじゃないかとか、努力賞をあげたいような感じの作品ではあるが、そんなもの行定氏は欲しくないだろう。あえて次に期待、と言っておきます。


25時 【25th Hour

Director: Spike Lee / Writer: David Benioff (novel & screenplay) / Cinematographer: Rodrigo Prieto

ニューヨークを舞台とした映画は数多いが、今この街をいちばんビビッドに描けるのはスパイク・リーかもしれない。(テイストは違うけれどウディ・アレンもいいですね)やたらと情緒的に讃えるのでもなく、浅い先入観を持って無機質な都会として扱うのでもなく、「そうそう、こういう街なんだよな」と思える感じ。そういう意味では収穫があった。言い換えると、それ以外の部分ではちょっと期待はずれなところもある。

***ネタバレあり***

特にラストの幻想ともなんとも言えない展開は「なんじゃこりゃ?」だ。年寄りメイクのモンティ(エドワード・ノートン)のシーンはそれまでの緊張感をぶち壊す。最後に彼がどういう選択をしたのかは語られずに終わるのだが、この場合必要だと思う。モンティは自分の葛藤にどう落とし前をつけるのか。(だってドラッグ売ってたわけだし)それを見ている人間に委ねることで、映画としての広がりがでるとも思えない。

技術的なことを語るのはあまり意味がないかもしれないのだが、幾つかの同じシーンを重ね合わせての編集はそれほど効果的な印象がない。自分にとっては「今のは何?」と流れを妨げられるだけで特に意味があるとは思えない、というか意味が見え過ぎている感じもあって。(※これについてはデッカード先輩より「表現者としての照れみたいなものでは?」というコメントあり。なかなか興味深い。)

識者たちの多くは911以降のニューヨークを取り上げたことの意味、意義を評価しているようだが、そういう部分は俺には感じられなかった。ツインタワーの光のメモリアルが映しだされたオープニングと跡地を見下ろすフランクの高級アパート、それからいくつかの街のインサートがなければ誰もそうは見なかったはずだ。911がとてもとても重要な出来事だからこそ、一本の映画の中でこういう風に使われることには抵抗を感じる。スパイク・リーかこの街を愛していて、安易な気持ちで使っているのでないことはわかる(少なくとも、そう思いたい)。しかしあの出来事を語るには、ニューヨークからだけの目線では狭すぎる。この項目は映画の評価とは切り離しておきたい。

しかし気になることは幾つかあるが、映画としてのレベルは高い。ノートンは相変わらず達者というか型ができちゃっている感じもあるしシーモア・ホフマンのキャラはお約束通りという気もするが、トレーダーの友人フランク(  )と恋人のナチュレル( )は素晴らしい。原作もちょっと読んでみたくなった。


ラブ・アクチュアリー 【Love Actually

Director & Writer: Richard Curtis / Cinematographer: Michael Coulter

大甘なラブストーリーではある。クリスマスだからって思い切って告白すれば愛が実る、なんてことそうそうあるもんじゃない(と思うのだけど)。しかしこの映画は面白い。いくつもの交錯する恋愛話を少々長い気もするが、飽きさせるとこなくまとめあげた演出の力はなかなかだ。リチャード・カーティスは「ブリジット・ジョーンズ」はじめ、この手のラブストーリー(ノッティング・ヒル、フォー・ウエディング・アンド・ヒューネラル)にくわえて「ミスター・ビーン」シリーズも手がけているが、どこか映画に対する(いい意味での)不真面目さみたいなものを感じる。これ効いているんじゃないだろうか。批判もそれなりに多い映画だが、その論点はだいたい予想のつくようなものが殆どだ。でも惜しいのは、登場人物の関係―首相(ヒュー!・グラント)と妹(エマ・トンプソン)などーと各恋愛エピソードの相乗効果みたいなものが乏しくて、掛け算としてあまり機能していない点。まあそれやってるともっと長くなっちゃうかもしれないけど。しかしDVD版にはカットされた場面も収録されているとのこと。一体何が入っているのか…


ドッグヴィル 【Dogville

Director: Lars von Trier / Cinematographer: Anthony Dod Mantle

※ちょっとネタばれあり?

「エレメント・オブ・クライム」の独特のトーンが気になっていたラース・フォン・トリアー(ダンサー・イン・ザ・ダークは見てないのだ)のこの一作はその長さもあってなかなか足を運べなかったのだが、見て良かった。作品自体はまるで映画の設計図を見せられているようだ。虚構であることが前提の映画がその隠し立てなしでさらけ出されているような印象は、プロレスラーの道場マッチのようでもあり痛くて面白い。ストーリー自体には疑問も残る。主人公の気持ちが最後で大きく方向転換する部分は説得力に欠けるし、赤ん坊まで殺してしまう展開は単純にキツイ。しかし自分が物語の中にぐんぐんと引き込まれいく感覚はセットがないことなのか、演出や俳優の力なのか。もしかしたら映画の作り手は、フィルムに映る物―セットや背景などに「遠慮」していた部分があるのかもしれない。その削ぎ落としをどう捉えるかで評価が分かれる一本なのだろうが、俺には深く残るものがあって2、3日はこの映画のことを思い出して反芻していたような状態だった。「ダンサー…」も見た方がいいかもしれん。しかしニコール・キッドマン、どうもバランスの妙な顔だなと今では感じていたのだがこの映画で初めて綺麗だと思った。実際に会った人が「この世のものと思えぬ美しさ」という感じで話してくれることがあるのだが、今回はそうかもしれないと思ったのでした。


ブラザー・ベア 【Brother Bear

Director: Aaron Blaise, Robert Walker

ほとんどの劇場では夕方までは吹き替えなので、最初から字幕版を上映している六本木ヒルズで見た。予想通り在日外国人ファミリーが多く、場内ちょっと日本と違う雰囲気。しかし彼らに、予告編で2回も流れたクレヨンしんちゃんはどう見えたのだろう。(結構知ってるか)劇場で見るディズニーアニメは初めてかもしれないが、思っていたよりも楽しめた。いい意味で「手馴れた」作りで、俺に小さい子供がいたなら連れて行ってもいいかもしれない。でもほんとに小さい子供にはちょっと難しいかもしれない。単にかわいいクマさんのお話ではないから。

しかしテレビの広告か何か、例の観客インタビューが流れるやつで、「感動で涙が止まりません」みたいなコメントの連発にはうんざりする。その涙は10分もするとカラリと乾いてマクドナルドでハンバーガーをぱくついていたりするのだろう。(それはそれでいいけど)長く心に留まることなく消費されしまう「感動」のあり方に、俺もクマになってしまいたい気分だ。


ニューオーリンズ・トライアル 【Runaway Jury

Director: Gary Fleder / Cinematographer: Robert Elswit

ストーリーとは直接関係ないが、カメラワークの面白い映画だと思った。動き自体はかなり忙しいのだが話の流れときちんと絡んでいて、技術が映画の中で生きている。ロバート・エルスウィット(でいいのかな?)はポール・トーマス・アンダーソンの「ブギーナイツ」「マグノリア」「パンチドランク・ラブ」全ての撮影を担当しているのだが、その前にはスターウォーズやETのビジュアルエフェクトというキャリアも持っている。テクニックも感覚も充分、という感じだろうか。ちょっと気になる存在だ。

この映画のテーマは、アメリカという国を考える上で興味深い。「市民の義務」を果たすために集まったのはそれなりに一癖ある面々。決して米国民主主義の理想を体現する優等生たちではないが、この国の多様性の代表者としては適任者だ。しかも裁判の相手は銃のメーカー。自己防衛の自由を主張する、企業国家の象徴的存在である。ある意味では国の縮図だ。しかしそのテーマをジョン・グリシャムの脚本がしっかり受け止めているかというと、もうひとつの感がある。各キャラクターの浅さや展開が読めてしまう感じは「12人の怒れる男」にはちょっと及ばない。(相手が悪すぎるか…)まあ元弁護士で「ペリカン文書」、「ザ・ファーム」の著者で…ともかくそっちの方ではプロ中のプロの彼だからこそ、このストーリーが書けたのだろうが。

が、それを補っているのがジョン・キューザック(こういう軽くてミステリアスなキャラは上手いかも)やジーン・ハックマン、そしてダテスィン・ホフマン(さすがに老けた…)などの達者な面々。前述の撮影監督同様、腕利きたちが力をあわせて神輿を高く担ぎあげた、という印象の一作。さまざまな人間が関って生まれたフィルムとして、なかなか充実している。見て損のない一本だ。


ミスティックリバー 【Mystic River】

Director: Clint Eastwood / Cinematographer: Tom Stern

少年時代の出来事がその後の男たちの人生に影を落とす。結局人間は誰かの大きな手の中でもがく存在に過ぎないのか。

「野生の王国」(古いか)のような大自然系映像が好きだった。その中でいつも淡々とした切なさを覚えさせられた光景がある。集団で生活する草食動物を襲う肉食の獣動物。周りの何匹かは獲物となった一頭を守ろうとしたりするが、群れの大勢はまるで無関心な様子に見える。何だこいつら、助けようとかしないのかとガキの頃の俺はショックを受けた。もちろんこの話は動物の種類によって対応が違う。一致団結的な動きをする種類もいれば、群れの一頭が食べられている横で草を食んでいる種族もあった。

生きている大部分の人間にとって、この映画のようなことは起こらない。今のところ自分もそうだ。しかし一旦巻き込まれてしまったら周りとは全く違う境遇を歩むことになるのもしれない。傍目には何も変わらなくても。そのことは理解できる。しかしそれが理解に留まってしまったことが、今回この映画に手放しで拍手できない(ん、変だなこの日本語)原因かもしれない。決して少年時代の傷といった現象を軽く見るわけではない。しかしそれがティム・ロビンス演じるディブに落とした影をもう少し感じさせて欲しかった。このストーリーの前提条件でもあるのだから、何かしらのカットやシーンを加えても良かったのではないだろうか。

とはいえ力作であることは間違いない。周囲の評判も高いし、その評にも納得する部分が多い。脚本の良さも強く感じるが、イーストウッドの役者の力を引き出す演出力も見逃せない。必要充分な説明しかしない語り口も効いていて、映画の緊張感を最後まで壊さない。ションー・ペンは安定感というより風格がでてきた感じだ。ちょっとアル・パチーノ入ってきたかも。

骨太の映画、と言っていいだろう。だからこそ細かいストーリーのあしらい方が気になったのかもしれない。次の作品も見たい。イーストウッドは5月末には74になるが、もう一、二本は撮って欲しい。原作(翻訳は友人の加賀山卓朗氏。書店で見つけたら買ってね)も読んでみたくなった。


10ミニッツ・オールダー イデアの森 【Ten Minutes Older: The Cello】


ベルトリッチやゴダールら8人の監督それぞれが「10分」という時間をテーマに撮った作品を集めたもの。最初のベルトリッチ作品はなかなか楽しく見ることができたが、次からは睡魔との闘いでもありました。いや、このフィルムはそれぞれの良し悪しとじゃなくて、企画書的な映画作りそのものに疑問がある。一見アーティステックな試みに見えなくもないが、どっちかというと本質は「オールスター隠し芸大会」ではないのだろうか。とすると恵比寿ガーデンシネマでやっている「人生のメビウス」は「芸能人水泳大会」か?(ジム・ジャームッシュのは見たいです)



[ビデオ、旧作はこちら]


ザ・エージェント (1996)【Jerry Maguire】

Director: Cameron Crowe / Writer: Cameron Crowe / Cinematographer: Januzs Kaminski

15歳から雑誌「ローリング・ストーン・マガジン」に投稿記事を書いていた早熟ロック少年はその後映画の脚本を書き監督になった。一度彼のインタビューをテレビで見たことがあるが、好きなものを追っかけて行ってここまで来ちゃったなぁ、という自然体な感じが良くて気になる人間のひとりだった。ただ彼の自伝的色合いの濃い「オールモースト・フェイマス」やスペイン映画「オープン・ユア・アイズ」のリメイクである「ヴァニラ・スカイ」等々、なんか演出が甘いんだよな…という印象がつきまとう。キャラクター設定やストーリー自体はそれなりにユニークで面白いのだが、それをフィルム上に焼き付ける技術が浅い気がするのだ。

俺が抵抗を感じるのは、画角も含めた絵作り。中途半端なミドルショットが多くて、テレビドラマを見ているような気になる。光の具合も満遍なくという感じなのだけど、どこかキレがない。彼自身は「映画を撮るとき、映像的な部分はスタッフに任せる。彼らはプロだからね」みたいなことを言っていたが、それにしても任せすぎでは。もしくは予算がなくて(これもトム・クルーズのギャラやフットボールのシーンで結構かかったのでは、とか)引いた絵を撮ることができなかった(写る範囲を全部コントロールするわけだし)のでは、などついつい勝手な推測をしてしまった。

なんだかなー、このおセンチなハッピーエンドも嫌いではないが、もう少し締まった演出があれば気持ちよく見ることができたのに。音楽に強いくせに(だからかもしれないけど)曲の使い方がベタなのも困った。でもこの作品、結構人気があったはずだ。エージェントとしての理想主義を掲げて無鉄砲に進む男とちょっと負け犬な平均的女性のドラマ&ロマンス。何かアメリカ人にとっては「冬ソナ」みたいなところがあるのだろうか…レニー・ゼルウィガーはコミカルさ加減と生真面目さのバランスが良くてなかなかでした。


くたばれ!ハリウッド (2002)【The Kid Stays in Pictures】

Director: Nanette Burstein, Brett Morgen / Cinematographer: John Bailey /
Writer: Robert Evans(book), Brett Morgan(adaptation)


「ローズマリーの赤ちゃん」「ゴッドファーザー」「ある愛の詩」等のヒット作のプロデューサーであり、ある時期はハリウッドの寵児であったロバート・エバンズのお話。映像の多くがアーカイブからのもので、スチールを使って構成した画面も多い。しかし全く飽きるない1時間半。脚本のうまさと写真の使い 方ーシリアスなモンティパイソンみたいな気もしたが、決してありもの素材の繋ぎ合わせになっていない。きっちりとクリエイティブだ。

しかし近くにいたら嫌な奴だと思うよ、ホント。しかしあそこまで欲望の赴くままに生きていたようでいながら、結局はハリウッドという手の平の上で踊らされていたように見えるからかもしれない。自信たっぷりに映画業界を泳いでいた彼が徐々に落ちて崩れていくさま、そしてしぶとく這い上がって(結局上がりきったとは言えないかもしれないけれど)様子を眺めていると妙な共感を覚えるのだ。(ま、向こうはこっちの人生を見てもそうは思わないかもしれないけれど)人生的に結構きつい状況にいた知り合いが、この映画を見て「俺も頑張るか」という気になったというのも何となく判る。(その人もかなりの凄玉でありますが)彼が言っていた、ロバート・エバンズがいちばん執着したのはあの家だった、という話にはいたく納得。あそこが彼には城であり、その城から天下を目指したのだろう。ちなみに同スタッフの同タイトルのアニメもあって日本ではWOWOWが放送しているが、これも相当イケてます。ちょっとエグイけど。


Shall we ダンス? 【1996】

Director: 周防 正行 / Cinematographer: 栢野 直樹

社交ダンスについてちょっと調べる中でこの作品を見ることになった。ダンスものと言えば「リトル・ダンサー(Billy Elliot)や「フルモンティ」があるがどちらも好きだ。もちろんテーマの問題でなく映画としてよく作られているのだが、もしかしたらダンスには生きる喜びを喚起するなにかがあるのかもしれない、と思ったりもする。

アメリカにいた頃のルームメイトがメキシコ人で、仲間が集るといつしかダンスが始まっていた。皆正式に習ったわけでもないが、なんせ「踊れないとデートできない」環境だから男も女も必須科目みたいなものだ。最初は付き合い程度でステップを教わっていたりしたのだが、ちょっと踊れる―と言うより邪魔にならない程度に動けるといった感じだが―ようになるとこれがなかなか楽しい。もうすっかり忘れてしまったけれど、一度ちゃんと覚えると楽しいかもしれない。

映画について言えば、正直言って最初は展開がのろくて辛かった。役所広司もただもじもじしているだけで歯痒い。でも何故か次第にダンスっていいものだな、と思い始め―映画と言うより社交ダンスというものに感情移入するようになっていた気がする―最後まで緩やかではあるけれど、あたたかい気分で見ることができた。作り手のダンスに対する愛情、と言うよりは表現するものとして素材に対する真摯さを感じた。「シコふんじゃった」での相撲もそうだったな。

物語としては随分都合よく話が進むな、という部分は多い。舞(草刈民代)の送別パーティの誘いを杉山(役所)の妻が偶然聞いていたりとか、ひとつひとつのパーツにそれほど斬新なものはない。しかしそれが一本のフィルムに組上げられたときに全体を貫く構成力はやはり監督の力なのだろう。草刈民代のセリフは棒読みもいいところだが、それもまた芝居として機能しているように思える。しかし彼女、立ち姿はさすがに美しい。すくっと伸びた植物のようで、この美しさは東洋人ならではないだろうか。


アラン 【Man of Aran / 1934】

Director: Rober J. Flaherty / Cinematographer: Rober J. Flaherty

アイルランドの西側アラン諸島を舞台に作られた、ドキュメント映画の歴史的作品である。舞台になっているのはその島々の中でもっとも大きいイニシュモア島。そこで暮らす人々の生活を一年半に渡って追いかけ製作されたものだ。驚くのは70年前に撮影された白黒フィルムの映像が美しいこと。陰影の奥深さに、いろいろと感じさせられる。話のハイライトは、肉を食べ肝臓から灯油をとる貴重な資源でもあるウバザメ漁。一トン近い巨大なそれと3、4人の男が乗った小船との戦いは決して分がいいとはいえない。ここでは人間も、動物の一種として生き抜いているのだ。

しかしドキュメントとはいえ撮影はかなり恣意的で、いわゆる「ヤラセ」に近いようなカットも結構ある。まあ最低限のセリフを生かして後は音楽、という音の構成自体が多分に演出的ではあるのだが。ただ「ドキュメントとしての是非」を問うつもりはなく、むしろ素朴な撮影の奥に感じる豊かな物語性に俺を興味を感じる。「ボーリング・フォー・コロンバイン」のマイケル・ムーアが手がけた「恐るべき真実(Awful Truth)」は、それに輪をかけて笑える「エンターテイメント・ドキュメント」と呼びたいようなものだ。そしてこれが彼のスタイルであり、社会との付き合い方なのだろう。ドキュメントとはただ重くシリアスなものではなく、制作者自身の姿勢、やり方が反映される幅広いものだと思う。作っているのも生身の人間。そう考えるとドキュメントって、なかなかそそられるものではあります。

昨年アイルランドに旅行してこの島を訪ねた。今では観光が立派な産業として成立していて、自転車で回った島の風景は素朴でなごめるものだった。しかし映画で描かれている自然の厳しさは随所に感じることができる。そう思うと、これからアランセーターも迂闊に着られないな…持ってないけど。


ケンタッキー・フライドムービー 【Kentucky Fried Movie / 1977】

Director: John Landis / Cinematographer: Robert E Collins, Stephen M.Katz

「サボテン・ブラザーズ」(1986)の監督、ジョン・ランディス。「エアプレイン!」(1980)の脚本&監督、デビッドとジェリーのザッカー兄弟とジム・エイブラハム。そのおバカ映画のドリームチームの手によるこの一本が今年の幕開け、つーのもいかがなものかだが、なんせ見てなかったところにちょうど放送があったもので。まあ全編酒飲み話のようなおバカ&お下品ネタをホントに撮っちゃいました、というような映画なのだが、どこまでも真摯にふざけるそのパワーは痛快でもあり少々痛寒く(いたさむく、造語です)もある。でも俺にとってはある意味、見ずに死ねない映画のひとつ。兄貴、やりやしたぜ。

しかしこんな映画、今のアメリカでは撮れっこない。そう思うと下手な教科書よりもあの国のことをリアルに語ってくれる。こんな映画を作るバカのいるアメリカが好きだ。そして今の状況でまだバカの抜け道を考えている奴がいてくれることを信じ、応援したい。なんかマジな結びになったぞ、これ。えーっと、昨年劇場でも公開されましたが、やっぱりこれはおバカセンスのいい仲間とビデオで見る、つーのが王道ではないでしょうか。


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≪書籍≫


熊の敷石 【堀江敏幸】 (講談社文庫)

表題の芥川賞受賞作は読んでいるけど、他に短編も収録されているので再読。著者の作品を読んでいると、「かぶれない海外文化との付きあい方」みたいなことを思うことがある。仏文学者でもある氏の描写に出てくる外国(もちろん主にフランス)の風土や人の姿には説得力があるが、それは語り手の視点を侵してはいない。相互理解とか七面倒な(そして嘘臭い)ことを言わずに自然に物語の中に組み込んでいく語り口は「センスのいい脳みそだなぁ」という感じだ。巻末の解説が川上弘美なのだが、不思議とこのふたりの文章、通じる気配がある。「雪沼とその周辺」の中に川上ワールドの登場人物が出てきても割としっくりくるような。


雪沼とその周辺 【堀江敏幸

川端康成文学賞を受賞した「スタンス・ドット」をはじめ7編からなる短編は、すべて雪沼という土地およびその周辺を舞台にしている。(タイトルまんまの説明だな…)ただ一作一作ごとに導入部の印象や文章の温度が違っていて、それほどの統一感はない…と思っているとそれがいつの間にかきちんと「雪沼ワールド」に収まっていくところが大層うまい。最初の「スタンス・ドット」を読み終わった瞬間、「うまい!」と心中叫んでしまったのだが、ホント書き手として乗ってきているような気がする。決してトップギアに入れているのではないが、適度な回転数を保ちながら快調にクルージングしているような。

それぞれのテーマ自体は結構地味な設定なのだが、それがじわりと、しかし生き生きと物語の味として沁みてくる語り口はむしろこざっぱりとしていてモダンな印象があって、俺はうまいなー、うまいなー、と能のないグルメレポーターみたいに読み続けてしまった。


東京するめクラブ 地球のはぐれ方 【村上春樹 吉本由美 都築響一

「TITLE」という雑誌に連載されたものの単行本化らしい。書店で手に取ったときはワクワクしたのだが、正直期待していたほどではなかった。村上氏が序文で述べたほどは「ゆるゆるの旅行記」になっていないんじゃないだろうか。もちろんTV番組のような薄っぺらな驚きも、うざったい文化人的権威臭もなくてそれはよろしいのだけど、なんかトホホなネタに対する驚き方が真っ当過ぎる気がするのだ。結構読めたのは、この3人が議論する「熱海再生法」みたいな部分で、随所に鋭いというか目からウロコな指摘が見られる。(特に吉本氏)なんか真っ直ぐ語ることをそんなに恥ずかしがらなくてもいいんじゃいないか(特に村上氏に関して)という印象が残った。でもサハリンの話はなかなか凄かった。手付かずの自然とその廃れていき方。人間の土地に対する振る舞い方って、環境への認識不足からくる素朴さと乱暴さは紙一重なんだろうな。


着実に儲ける!こだわりの居酒屋喫茶店 開業マニュアル 【岩本光央

度重なる失敗の後、東武東上線志木に出店した昼はたこ焼き、夜は居酒屋の「春屋」を成功させ、店を譲った後同駅近くでカフェ・レストラン「クイーンズ・ガーデン」を営む著者の話。しかし思いっきりマニュアルっぽいタイトルの割には結構人生訓含みの半生記みたいで意外に面白かった。浪花節的だが非常に現実的でもあり、「なぜ飲食店の従業員は腕時計をしてはいけないか」みたいな細かい話(衛生面と、客に時間を忘れてくつろいでもらうため)は臨場感がある。飲食店経営のための合理的なノウハウを語る人情派マスターのような妙な違和感は結構楽しめた。この本とかなりテイストは違うが、「なぜあの店で買ってしまうのか」のパコ・アンダーヒルのことを思い出した。両者とも根本には買い物をして、飯を食い酒を飲むという習性を持つ人間というものが好きでしょうがないのだろう。星の好きな天文学者みたいな感じで。まあ、素人にわかりやすい分、もしかしたら玄人から見ると荒いところもあるのかもしれないが、下手なフィクション読むくらいならよっぽど実のある時間を過ごせる本ではあります。あー、今はなきグース・バーのマスターに読んでおいて欲しかったなぁ…


武器としての映画 ‐軍政チリ・亡命・潜入‐ 【ミゲル・リティン (きき手)山田洋次

岩波ブックレットというシリーズの一冊。1987年にこの本が発行された時点では、チリは軍事クーデター(ちなみに73年の9月11日)によって成立したピノチェット政権下にあった。(88年の選挙で敗北)先日あるチェーンのカレー屋のパンフレットに「命をかけて作ったルー」とかあって怒りと苦笑を覚えたけれど、こっちはマジで命に関る仕事だったはずだ。またいわゆる「左」の論点に立った内容でもあるが、リティン監督の語りは素朴で妙なイデオロギー臭はない。誠実で温かく響く彼の言葉に触れていると、こういう映画の「使い方」もあるのだな、と納得。

何か今、政治と世の中のことを話していかなければならないという気がする。しかし従来の話法がどうも胡散臭かったりしっくりこなかったりという感じもあって、これからは語る言葉がとても大事になってくる気がするのだ。


ゼラニウム 【堀江敏幸

99年の夏から01年の春の間「小説トリッパー」に連載された短編小説集。「薔薇のある墓地」「さくらんぼのある家」「砂の森」「アメリカの晩餐」「ゼラニウム」「梟の館」の五編はいずれもフランスに住む、もしくはフランス語をしゃべる「私」とフランス人女性たちの間に起こるささやかな物語。(乱暴なまとめ方だな…)と言ってもその間にある引力は、静電気のように微かで温度は低く、そして昼寝の夢のようにどこか折れ曲がっている。「私」はどこまでも受け手でただ鉄砲水のように湧いてきた予想外の流れに巻き込まれていくが、それほど嫌な風には見えない。ジミーな小説かもしれないが、とてもとても上手に書けている。上手に、とか古臭い言い方になるのは、なんて言うのかな、非日常な感覚が破綻のない筆で描かれているというか(俺の文章の方がよっぽど破綻してるな…)、さすが仏文出身の大学の先生だな(関係ないか)というか。ちょっと小奇麗な小川国夫という感じもあるけど。

…ったく、何書いていいかよくわからないけど、出会えて良かった一冊だ。芥川賞受賞作である「熊の敷石」はそれほど印象に残らなかったが、この短編集は読んでいる間は幸せな気分になる。大して考えずに手に取ったのは、簡潔で美しい装丁とこの表題(「ゼラニウム」を選んだのは正解かも。他のものでは手が伸びなかった気がする)のせいなのだろうか。ジャケ買いしたCDは、気持地味だけど結構聴かせるみたいな。


アメリカが知らないアメリカ 世界帝国を動かす深奥部の力 【近藤康太郎

著者は朝日新聞の記者で、扱うテーマがポピュラー音楽や格闘技と朝日的(?)でなく、かつ自分に近い世代感も漂わせていて気になる存在ではあった。しかしここのところの記事はどこか浅く見えて、「どこか身体でも悪いのかな?」と思っていた折にこの一冊。ブッシュが再選を果たした今、ちょっと読んでおいてもいいかなと手に取ったのだが、かなりの肩すかしを喰らった気分だ。

まずタイトルが間違っている。これだと、不断メディアで取り上げられないアメリカの側面に目を向けた「社会本」のように見えるが、実際は好奇心旺盛で物怖じしない行動派サブカル野郎の「俺本」である。サブタイトルの「世界帝国を動かす…」も、誰がつけたんだ、みたいなもんで、ここで取り上げられたムーブメントや人々があの国を動かしているわけでは全くない…が、川底に落ちたガラスの破片のように、アメリカの素顔のひとつをきらきらと光らせてくれる。扱われているテーマ自体は素晴らしい(つーか俺の好きなタイプ)。でも料理の仕方がちょいと違う。

変に社会派な見せ方をしないで、この混沌と多様性の追っかけに徹すれば潔いのだが、どーもその辺が朝日の記者的(偏見かしら?)に着地してしまっていてしっくりこない。おまけに文章のすべり加減もかなりキツい。

原稿が死ぬほどたまった夕方、道でばったり大昔の彼女に会えば、それいけどっかへGO。(原文のまま)

…読んでいる方が恥ずかしくて、叫びたくなる。一時期暮らしていたブロンクスでの警官による黒人射殺事件の際、そういう場所に住むこと自体を訝るような世間の歪な捉え方とか、時には鋭い指摘が光っているのに、全くもって残念!これが慶応文学部(専攻は知りませんが)の文章か…と寒い気持にもさせられるが、反面この著者がうらやましくもある。(やっかみじゃないよ)2年弱の俺のささやかなNY暮らしに比べると、結構好きにやったんだな、という思い。その氏の行動力には何の文句もない。それは大したものだと思う。でもネタが同じなら、俺のほうが面白いもの書くよ、多分。


オール・サマー・ロング  夏を追いかけて(上) 夏がいっぱい(下) 
【ボブ・グリーン / All Summer Long by Bob Greene
 井上一馬訳】

上下刊で異なる不思議な邦題やーまあサブタイトルみたいなものなのだろうけど。風雲篇とか旅立ちの章、みたいなーハルキな文体(表紙も和田誠だし)はともかく、ほぼ一気に読んじゃいました。主人公(43歳、3大ネットワークのニュースキャスター)はオハイオの小さな町、ブリストルの高校の同窓生ふたりと一緒にもう一度「夏休み」をとるべく長い休暇を取って気の向くままの旅に出る。人生の岐路を迎えつつある中年の男たちの夏模様。一歩間違えたら夢見るオヤジの大甘な話になる(実際そういう印象は強いけど)ところを踏みとどまらせているのは、アメリカの男たちの持つ「スタンド・バイ・ミー」的体質かもしれない。これといって特筆することのない少年時代でも自分には貴重な時間だった、と振り返ることのできるのは、やたら波乱万丈物語の好きな日本的メンタリティーと比べるとどこかほっとする。けっして凄いところがあるわけではないけれど、友人のある長い夏の話を聞いているような小説だった。


アーリオ オーリオ 【絲山秋子

懐かしい小説だと思った―と言っても古臭いという意味ではない。哲と美由の間に存在する気配はどこか昔の恋愛小説を思わせるのだが、年の離れた親戚同士の関係は、むしろ共鳴できるものを見つけたささやかな共犯者という感じ。多分彼らはごく普通に年月を経ていき、やがてそんなやり取りがあったとこも忘れていくのだろう。時代はしっかり現代なのに、遠い風景を思い出す不思議な物語だ。ところで友人の尾島のパジェロとか「第七障害」で登場したレガシーとか、はまり具合が「それっきゃないでしょ」みたいないい感じである。宮部みゆきとかの(個人的な嗜好ですみません)事細かな人物描写はご免なさいな俺だけど、こういう技のきいた表現には嬉しくなる。何気に出されたお通しがすこぶる美味い飲み屋みたいな。欲を言えばもう少し読みたいかな、と言う感じ。その後の話、そのうち出ないかな。


おめでとう 【川上弘美

女性作家の書く男性像は「結構鋭いとこ突くよな」と「こんな奴いるわけねーだろ」のふたつに分かれると思っていたのだが、著者の場合はどちらでもないというか、その両方みたいなところが独特。とても嘘くさいキャラクターの持つリアリティというか。この本に納められた短編は雑誌や新聞に掲載されたものが殆どだが、ファンの人には「心の隙間をするっと満たす」みたいな感じなのだろうか。高度な技術で演奏された隙のないBGMみたいな印象が残った。


みんな元気 【舞城王太郎

実は全部読んでません。だったら書くなよ、と言われそうだけど、どうもこの人の出来上がり具合が俺にはキツくなってきたことは言っておきたい。書き出しからのつかみで読者を持っていくスムーズな強引さは健在。なんだかクサイ話をしながら結局ちゃんと女性を口説いているナンパ師みたいなスタイルはもう完成の域に達している。でもそれが何だか様式美的というか、パターン化したビジュアル系バンドのような予定調和的ハチャメチャというか。モブ・ノリオが芥川賞受賞式で「舞城でーす」と登場したらしいけど、一回人前に出てみるのもいいかもよ、とか思ったりして。


天国までの百マイル 【浅田次郎

いやー、読んじゃいました浅田次郎(何度も阿佐田哲也とか浅田彰とか言いそうになるけど)。バブルで地位も金も家族も亡くした中年男(それが40歳というは適切なのか若いのか)が重い心臓病の母を救うために一見無茶な旅に出る、というメロドラマな話。しかし前半部の人物造形や話の持っていき方は、ややこしい内面性抜きの娯楽小説でなかなか読ませる。正直、通勤電車の中でホロリとしそうになって、こりゃちょっとヤバイよな、と間を置いてしまった。(カバーなんかかけてないから何を読んでいるか周りにもバレバレ)しかし後半からの展開は、俺に言わせりゃ蛇足だ。安っぽい続編が一緒になったようでお腹一杯、て感じである。それに出てくる女性たち、あまりにも男に都合のいい存在過ぎないか?マリに別れた妻、どこか男という生き物の子供っぽさが鼻につく。ただ筆者の物書きとしての力量は高いと思う。カタルシスにこれを読むのは下手に文学しているよりもいいかもしれないのだろう。

どうも気になったのが、文庫版に収録されている大山勝美氏(演出家・プロデューサーとのこと)の解説だ。浅田作品のファンであるからだろうか、「メロドラマ的過ぎる」等の一般論的批評に対して「都会では人とぶつかっても挨拶を交わさず、電車の中では若い女性は平気で化粧」する今の日本人は「金と効率のことだけを考えるミーイズムのトゲをつっぱりあわせ」かつての家族が持っていた温もりのを忘れ異常犯罪を引き起こす…というような説を述べている。あのさ、どこの大先生か知らないけど、そんな薄っぺらな社会観でよく演出家なんてやってるよ、あんた。「私は浅田次郎さんの描く世界に『救い』と『癒し』を感ずる。浅田さんは、日本人に家族を中心とした心豊かな精神世界をよみがえらそうとしていると思われてならない」…こんなこと書かれて著者は苦笑しているのではないだろうか。しかし素朴な昭和初期的平和の信奉者、と片付けてしまうのは簡単だけど、こういうタイプは意外にタフで教育とか法規とかいろいろ話を発展させたりすることだってありうるはずだ。家族という仕組みが幸福にした人々の影には、そのシステムが不幸にした人間だっている。電車の中で化粧する女性(俺も好きじゃないけど)の知り合いはいない(と思う)が、お金のない人の弁護を安く引き受けるために、山手線の車内でお弁当を食べながら(当然白い目で見られたらしいが)忙しく走り回った女性弁護士の話は聞いたことがある…あー、何で本編よりも解説に関する部分が長くなってしまうのだ。ともかく「マジですか!?」というようなぶっ飛び方ではあるのだ。

もう一度小説の方に。確かに前半部分は素晴らしい、と言ってもいい。で、何で後半で主人公の母親はああも饒舌になってしまうのか?まるで違う書き手の作品に思えるくらいだ。もしかして浅田次郎とは一人じゃないのかも…という説は如何でしょうか。

※後で解説の大山氏のことを調べたら、この小説がTVドラマ化されたときの演出もこの人でした。やれやれ…


愛をひっかけるための釘 【中島らも

「なにわのアホぢから」「たまらん人々」の後でのこの本は、かなりの変化球に感じるだろう。ただそれは「不断アホばっかり言ってる○○君が、実はあんなにカッコいいなんて…」みたいな狙いの落差攻撃とは違って、中島氏の別の本性が見えてしまったものだと思う。この人、実に感受性が強くて頭が良かったのだと思う。ここに書かれた短い文章は、不断見落としてしまいそうな、それでいて至極至極真っ当な人間性のツボを点いてくる。

「フレットをはずして」という一編の中の「西洋哲学は『フレット』のついた思考である」(区切られた単位によって作られる世界であり、中間とか曖昧なものがない。でも実は混沌というのが世の中の真実ではないのか、というような)という洒落ていてかつ律儀な指摘。「突かれていないビリヤード台」に顔を出す教養(文化人類学とかで習うネイティブインディアンのホピ族の時間の概念の話)。「Ticket to ride」における尤もな怒り(達者な口で新幹線内で開き直る業界人)…ある意味氏のクソ真面目な面が柔らかいインテリジェンスにくるまって語られている。知らなかったらどこかの短大の教授の自費出版本(別に偏見はありません。何となくこういう感じ、ということで)かと思うかもしれない。

でもしかし(言語重複)、もし中島らもがこういうのばっかり書いていたらきっと人気は出なかったでしょう。もちろん人気があるのが偉いわけではなく、こういう風には愛されなかっただろうというのが正しいかもしれない。時には小林信彦、時には村上春樹、時には片岡義男(あくまでも「風」だけど)なクールでスマートでちょっはおセンチなエッセイだけではメインディッシュになれなかったと思う。何を作らせても美味いのに、オムライスだけが評判になって流行っている洋食屋さんのような密かな哀しみ。これが中島らもの隠し味だったのではないだろうか。しかし何だか一度会ってみたかったなあ、このシト。


なぜ人はショッピングモールが大好きなのか ショッピングの科学ふたたび 
パコ・アンダーヒル 鈴木主税訳 / Call of the Mall by Paco Underhill

3年前に出版された「なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学」は楽しい本だった。他の多くのマーケティング本にありがちなプチ教祖(と言えば可愛らしく聞えるが、要は小物)の演説調は全くなく、タイトル通りカジュアルな科学の解説のような語り口で、しかも着眼点はオリジナルだ。この一冊も第一章を読んでいる間は久々の再会を楽しむような気分があった。特にアメリカ人として生まれながら父が外交官であったため60〜70年代のアメリカ文化を体験せずに育ったというあたりの話はなかなか味わい深い。そこから話が911にいくあたりは多少作為的に見えなくもないのだが。

しかしその期待感は読み進むうちにだんだん萎んできた。ショッピングモールという題材が今のアメリカを象徴するもののひとつであることは俺も何となくわかっているつもりだ。しかし前作に比べてどこか浅い。人のリアルな心理に気づくような鋭さに欠けている。戸惑いながら読み進めても、その印象は最後まで解消されなかった。

考えてみたらそれは、「人」が見えてこないからだと思う。前作はショッピングというものを通じて生っぽい買い物客の心理を描き出すことに成功していた。しかし今回はネタがショッピングモールという大箱もののせいか、人間の捉えかたも性別や年齢など大雑把であり、そこに描かれた客たちの顔はよく見えない。筆者の熱のこもった語り口は最後まで衰えることはないが、それがかえって空虚さを盛り立てちゃっている感もある。奇しくも述べられているように、ショッピングモールがいまや淘汰の時期を迎えていることと共鳴しているようでもあった。


社長をだせ! 実録クレームとの死闘 川田茂雄

この本、2、3年前に出たような気がしていたのだけど実際は昨年(2003年)8月の発行だった。その後も続編が出たりしているせいか、随分経っているような気がしたのだけれど。最近の流行ものが変わっていく速度のせいなのだろうか。何だか足元がぐらぐらするようだ。

で、内容の方は刺激的な面構えとは多少違ってマイルドで真っ当な「ある顧客担当係の記録」である。確かにエキセントリックなクレーマーやヤクザ紛いの客の話は出てくるのであるが、基本的には「きちんと話を聞いて、客観的事実に基づき誠意を持って対応する」というとこに尽きるだろう。日本ではベストセラーになったようだが、これがアメリカやその他タフな顧客社会ではまだまだ甘い話として読まれてしまうと思う。彼らが「この程度で『死闘』か!担当編集者を出せ!」とクレームをつけてこなければいいのだけど。


国語入試問題必勝法 清水義範

吉川英治文学新人賞受賞の表題作の収められたこの文庫、いま読むとそのほのぼの感が厳しくもあるが、著者の作品の中では着眼点と物語としての化学反応が上手くいっている一作だと思う。あっさりと言うか、なんだか人の好い終わり方が惜しい気もするがこの辺もらしい気がする。文庫に収録された「時代食堂の特別料理」は、庶民的な内田百間(漢字出ず)みたいな不思議感と柔らかさが面白くて結構好きだ。しかしこの人って、書いていることが楽しいのだろうな、と感じる。今もどんどん著作が出ているが、書き手としては結構幸せな人なのかもしれない。


ぼくが電話をかけている場所 レイモンド・カーヴァー Where I’m Calling From/Raymond Carver 
村上春樹訳


長距離バスの停留所で随分先のバスを待ちながら、何となく隣の会話を聞いているような短編集。さっきまで吹いていた風のように、確かにあったのにその感触はもう思い出せない。でもその風は、少しだけ気分を軽くしてくれたようだ…なんてコメント、あまりにハルキ的か。全然うまく言えないのに好きなタイプなので、今度ちょっくらイングリッシュで読んでみますわ。


蕎麦ときしめん 清水義範

ここのところ続いている清水ブーム(?)。若干先に読んだ2冊よりも切れ味を感じる短編が続く。表題作の他、「序文」(これは好きだ)「猿蟹の賦」「三人の雀鬼」などの緊迫感は意外でもあった…でもこういうことは大して問題ではないのかもしれないな、この人には。後々から年代を無視して読んでいるので、どういう風に作風が展開していったのかよく把握できていないが、ある種のきらめきみたいなものは感じるのだ。でもそのきらめいた光には、今どき珍しいセルフレームの眼鏡がかけられていて、のっかった髪も七三だったりするような。しかし敬愛しております、清水センセ(皮肉、おちゃらけゼロ。前も書いたが、ちょっと風変わりで面白い遠縁の親戚みたいな感じなのだ)


さぼりん (文學界2004年6月号)【栗田有起

栗田有起は「お縫い子テルミー」がチャーミングで気になっていた作家。「オテル・モル」もまあまあ、という感じだったのだが、ここにきて幾分失速気味な感じを受ける。どこか醒めた植物系不思議ちゃんワールドは健在ながら、少しずつ波が小さくなっているようで、何だか島本理生の「生まれる森」が思い出された。えーっと、ともかく頑張って欲しい。(皮肉じゃなくて)持っている空気は褪せていないと思うので。


介護入門 (文學界2004年6月号)【モプ・ノリオ

YO朋輩、
鋭いコントラスト、流れるテクスト、いなせなラスト、先生たちにはインパクト、
大麻(マリファナ)きめてグランマのケア。

YO朋輩、
音楽の挫折、自分は屈折、婆ちゃん骨折、まとめて解説、
Hip−Hopには届かない。

YO朋輩、
それでも信じる、俺は感じる、期待だってしてる、舞城も見てる、
ノリオのフューチャー。

…あー、恥ずかし!でもJラップってなんで「笑点・ジュニア」みたいなんだろう。えーっと、なかなかこの人はいい人じゃないかな、読んだところ。見た目が異端で実は真っ当…何だか立川談志みたいな存在なのかもしれない。気になるのはそれを取り上げる評論家の面々。フツーに読めよ、大麻とかYOとか言われて慌ててんじゃないよ、って感じっすか?


ことばの国 清水義範

この一冊はちょっと恥ずかしかった。と言うのは、著者が持っている言葉への目線に自分にとても近いものがあって、しかもその面白いところと一緒につめ方の甘さなんかも透けて見えるような気がしたからだ。「不燃ゴミ」で俺が書いている感覚と、立ち位置はかなり近いのではないだろうか。「使用禁止ことわざ辞典」の「郷に入ってはひろみに従え」とか「昔取った篠塚」とかは俺も使っていたネタ(?)だ。(自分のは「郷にいっては郷ひろみ」「昔打った篠塚」というバージョンだけど…<赤>※赤面)この人の小説(と呼んでいいのか迷うところだけど)は取り方によっては立派に言語学、文化人類学のテキストとして機能しそうな言葉への「気づき」に満ちている。ただその意義深いところが逆に読み物としての跳び具合を大人しくしているようでもある。今のメディアで言葉の置かれた状況やその扱われ方はますます滅茶苦茶なものになってきていて、今やその批判としてはいささか緩く響いてしまうだろう。「徹底討論会」でパロった“文化人”たちはより巧妙になっている。(賢くなっているかは疑問だけど)しかしこの「気づき」の感覚はそれがうまく展開するとたまらなく面白くなったりもするのだ。例えば英語が禁止になったという状況で言い換えられる映画のタイトルで、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を「時空てんやわんや」…こういうのを読むとちょっとやめられなるなる。なんだかんだいって好きなんじゃん、と言われればそうかもしれない不思議な作家なのだ。


主な登場人物 清水義範

清水義範という作家、どこか目のつけどころが自分とかぶるのだ。だからといって親近感を感じるというわけではない。年に一回会うか会わないか程度の親戚だけど、何か似てるところがあるな、このオッサン、という感じである。表題になっている「主な登場人物」というのは、翻訳ミステリーなどでよくある登場人物の紹介文だけから小説の筋を想像で語っていくというものだが、これなんか俺がバカ話のなかでやりそうなパターンでちょっと気持悪くもあった。(くしゃみの仕方が伯父さんそっくり、みたいな)遠い近親愛&憎悪みたいなものを感じる作家なのである、この人。全体を通じて、個人的に面白いけど、もう文章表現の大きな流れとは離れていて、どこか川の支流でのんびり魚釣りをしているような読後感だ。ただ掲載されているショートショート(ホントに短い)2編(「決断」と「拝啓」)には瞬間的な切れ味が感じられて、ただの前世代ユーモア系インテリ物書きではない、ひらめきみたいなものを垣間見せてくれる。(ホンの垣間だけなんだけど…)


ニュークリア・エイジ ティム・オブライエン−The Newclear Age Tim/O’Brien 村上春樹訳

読み始めた瞬間から思いっきり村上ワールドの文章が展開して、ちょっと笑えた。訳注にいたっては翻訳者個人の意見がちょこちょこ顔を出す−例えば「グラミー賞(ほとんどあてにならない賞)」みたいに−ちょっと若気がいたっちゃって寒い感もある。(訳は1989年)

それでも結構長いこの小説を、俺は一気に読んだ。乱暴にまとめると、核爆弾の恐怖にとりつかれた男の姿をベトナム戦争からキューバ危機、そして東西冷戦と戦争というフィルターを通して見たアメリカ社会を背景に描い小説。こう書くと左翼的社会派作品みたいに思われるかもしれないが、全くそんなことはなくて、どこかユーモラスだったり牧歌的だったりする普通の(表現としてニュートラルという意味で)小説だ。軸になるのは優柔不断な偏執狂というか、思い込みの激しいチャーリー・ブラウンみたいな「僕」ウイリアムだが、彼を囲む女性たちには不思議な魅力がある。元チアリーダーの過激派闘士サラ、男たちをとろとろにしちゃう素人詩人の妻ボビ、小生意気で聡明な娘メリンダー彼女たちの一風変わった造形がこの小説をつやつやさせている。

訳者あとがきで村上氏は「現代の総合小説と呼びたい」とコメントしているが、それはある種クレイジーな状況設定を持ちながら物語としてのバランスを保っている、この作品の微妙な完成度のことを指すのではないだろうか。険しい峡谷に張られたロープの上を、平気な顔して渡っている曲芸師のような。そのバランスが訳者を少々興奮させてしまって「お前の小説かよ」みたいな文体になってしまったのかもしれない。(まあこの人の訳は他もこんな感じなんだけど)

小説の舞台自体は60年代と古いが、普通の暮らしと戦争の恐怖というテーマは今とても重要なことだと思う。テロとの闘いは一体どこを向いているのか。他所の国に爆弾を落としてまで守ろうとしているものは何なのか。波紋はどんどん広がっていく。でも、これはあくまで小説です。ゆっくり座って(立っててもいいけど。電車の中とかみたいに)この奇妙でおかしい物語を楽しみ、その後なにか思い考えることがあったらその知的収穫物を楽しめばいい。ひと粒で2度おいしい、みたいなところが「総合小説」なのだろう。