☆オヤジ’s英語&留学
あるロースクール・ガイの話
俺の友人、仮にMKとしておこう。ある超大手企業(タクシー会社ではない)を休職し、単身自腹でニューヨークのロースクールに留学。厳しい勉強と乏しい資金と闘いながらも時々くれるメールのなんとパワフルなこと。きっと一角の人間になって帰ってくる(もしかしてそのまま居ちゃったりして…)と信じているが、そういう人間をひきつけるのもまたこの街の力なのだと思う。街と相性がいいタイプつーか。俺にできることは日本で放送される格闘技のビデオを送ることだけ(好きなんだ、この人も…)だが、頑張って欲しいものです。考えてみると、この街にはコーヒーのフィルターみたいに人間の熱みたいなものを濾し出す働きがあるような気がする。その辺、急須でじっくり淹れる日本茶との違いがあるのだろう。俺はどっちも好きなんだけどね。しかしコーヒーというと一杯85セントのそれを買おうかどうか迷った貧乏留学生時代を思い出します。MK君はうまいコーヒー飲んでいるのだろうか。
ニューヨーク・ブロンド・イン・大阪やで
前回書いた大阪のお店、掲載OKのお許しが出たのでちょっと紹介。店の名前はbalm(バーム)で電話、ファックスともに06−6864−8709。大阪府豊中市服部本町1−5−25の1Fです。写真を見せてもらったらニューヨークのダウンタウンのお店のような雰囲気で、なかなかでっせ!
もうひとつ面白いのが、お店においているフリーペーパー。美大出身の妹さんが作っているそうなのだが、彼女は食べることが大好きで、特に肉が大好きとのこと。それでそのタイトルが「ステーキ」だって!…なんかワクワクしてまうね。別にお店の宣伝を頼まれたわけでもないのだけど、こういう風にいろいろ自分のイメージを形にしていく人って好きやねん、というわけで書いちゃいました。考えてみるとたった2年の滞在でも、結構面白い人間関係ができたと思う。まあいろんな奴がいるけど、いつも何か企んでいる楽しい連中のことも、ここで書いていこうかと思ってます。ほなまた。
ニューヨーク・ブロンド
と言っても綺麗なお姉さんの話ではなく、俺のことである。留学2年目の後半、俺の髪は金髪だった。インターン先では冗談半分に「あのブロンド・ガイ」とか言われてこそばゆく面白かった…なんて話を聞いても楽しくもなんともないだろうけど、その髪をやってくれた人が出身地の大阪に戻って自分の美容院を出したのでこんなことを書いているのだ。常々ただ髪を切るだけでなく、そこにいることを楽しめるサロンのような場所にしたいといっていた彼女の店なので興味深い。場所は都心からちょっと離れた住宅街らしい(大阪の同僚に聞いた)が、一回行ってみたい。でももう金髪にするほど髪もないので、豚饅でも買って行こうかな(なんじゃそれ)。
チェリー・プラッサム
30代半ばから、桜の花をきれいだと思うようになってきた。それまでは「花見=飲み会」だったのが、酒もいいけど花をじっくり愛でてみたいなんぞうっかり思ったりする。留学中の2000年、翌2001年の春はニューヨークにいたので、街で桜に出くわすというわけにもいかなかった。もちろんブルックリン公園など大々的に咲いている場所もあるのだが、わざわざ出かける余裕はそのころ無かった。
偶然近所に咲いている桜を見つけたのは、多少疲れ気味のときだったような気がする。それも住んでいたイーストビレッジのあまり綺麗とは言えないストリートの歩道上、何故か一本ソメイヨシノが薄桃色の花をつけている。最初は目を疑った。何でここに?バリバリにヒスパニック系の近隣の中で凄く違和感があったりするのだが、その花はただ静かに咲いている。当たり前だ、植物なんだから。それは俺の安易な感情移入ではあるが、ちょっとばかし元気が出た。桜の下には死体が埋まっているとか、美しさと狂気とか言われるけど、なんだろね、桜の花って。(後日ニューヨークの長い知り合いから、あのあたりは結構桜を植樹していたらしいと聞かされてびっくり。もしかして他の木、見落としてた?)
この勉強法、どうよ!?−その1。
正確に言うと勉強法の話ではない。最近ネット起業系の英語学習の広告がやたら目につくのだが(まあ英語や海外関連のサイトをよく見ているからだと思うけど)、どうもすっきりしない。何かすっきりしないかというと、そのモチベーション。例えばこんな感じだ。
あなたも帰国子女を名乗ることができるのです/日本人の英語アクセントがほほえましく感じられる/ヨーロッパ人と話すとイライラする位になる
これは睡眠学習とかナントカの原理を応用したものらしい。その効能はさておき、こんなことのために英語を学びたいのならアホくさい。俺は、世の中の面白い奴らと面白いことを話したり、興味がある場所にどんどん行ってみたいだけであって、こんな屁みたいな自己満足のために英語を覚えるのは労力の無駄だと思う。その分もっと身になることしろよ。一体何が話したくて、何をやりたいのか。「地方出身だけど(俺もそうだ)皆には東京の人?て言われちゃうの、ウフッ」みたいな感じだなぁ…
この手の広告を出しているのは最近多いネット起業系の人たちのようだ。そういうサイトのほとんどは「絶対儲かるインターネットビジネス」みたいなノウハウ本のまんまの作りでそれこそ「ほほえましい」。彼らも一攫千金を夢見て苦労しいるのかもしれないが、もうちょっと言葉というものへのリスペクトを持って欲しい。(言っても無駄だろうけど…)
長年あれこれやっていて、ひとつ確かだと思っていること。どんな難しそうな教材をこなせるようになっても、それは「そのテキスト/テープの内容を理解し使える能力がついた」だけで実際の会話とは別問題だということ。実際に興味を持っている人や本、映画などと接してそれは血肉になってくるものだ。特効薬を追い求めること自体が好きならいいけど、青い鳥を探していても時間の無駄だと俺は思う。
この勉強法、どうよ!?−その0。
去年のTOEICで960点を取って、なんとか人に言えるスコアを獲得した。そのスコアが実際と即結びつくかというとそんなことは全くなく、「スコア満点だが海外出張で使い物にならなかった」みたいな話もよく聞くところ。しかし言葉に関しては何が役に立ってどれはダメなんてはっきりしたものはないのだと思う。得た知識と実際のコミュニケーションを組み合わせていく力がなくては何も伝わらないし、逆に簡単な単語と文法で結構しっかりやることもできる。
こんなことを書いたのは、「正しい勉強法を選べば英語ができる」といった信仰みたいなものを感じるからだ。「究極の勉強法」「楽してペラペラ」というフレーズを真に受けた時点で本来のコミュニケーションから軸のずれた「勉強法グルメ」みたいな傾向がどこかにあるんじゃないだろうか。(俺も一時期はまりかけました)そんなこんなで、ちょっと突っ込みをいれつつ英語との付き合い方について書いていきたいと思っている。
しばらく前に仕事をした通訳の人のと打ち合わせていて気づいたこと。内容に関る日本語のニュアンスや含みの違いにとても細かい。その過程があってこそ正確な訳ができるのだろう。まさしくプロの仕事でした。まずは正しい母国語を、というのは間違いないんでしょうね。
オー・マイ・イングリッシュ!−その2。
英語が母国語でない留学生は、入学時に英語のレベルチェックを受けなくてはいけない。その結果によっては最初の学期に語学の補修を受けることになる。俺が振り分けられたクラスは、3段階の真中レベル。果たして2年でちゃんと大学院を卒業できるのだろうかと不安は盛り上がる。
ひとつ決めたことは、授業では必ず一番前の席に座ること。そりゃそうだ。自分の金と時間を使ってきているわけだし、恥ずかしいとか言っている場合じゃない。この辺はオバサン同様、オヤジもしぶといのである。よかったことは、大体最前列に座る連中は真面目で素直である。何回か授業に出ていると、同じ戦列(?)の仲間意識が生まれてきていろいろ助け合える。イタリア人のフィリッポ、スイス人のイザベラ(グイネス・パルトロー似の美人!)たちと仲良くなる頃には、質問やディスカッションで授業を「使いこなせる」ように(まだ英語が使いこなせる、という段階ではないけど)なっていて、ただ後ろで聞いているより随分身になったと思う。
しかしまだまだ先は長い。「俺も結構できるようになったな」とか思っていると、まだまだ高度な教材、言葉のテクニックが待っている。関門をひとつクリアすると新しく、さらに強敵が現れるゲームやマンガのように英語の道はまだまだ続くのでありました。
オー・マイ・イングリッシュ!−その1。
英語のノンネイティブがアメリカの大学に入ろうとするときには、TOEFL(Test
Of English as a Foreign Language)というテストのスコアが必要になります。自分がNYUの大学院に出願していた頃は、専攻にもよるけれど最低550点以上、できれば600点というのが合格基準でした。(現在はコンピューター式のテストになって300点満点)何度かテストを受けて何とか最低ラインはクリア(585点)したけれど、車で言えば免許証を手にしたのと同じで、街中や高速を運転する若葉マーク以上に足許が覚束ない状態といったところです。(会社でもTOEICの点が高いのに実際の会話が全然駄目、という人の話を聞くことがあります)
授業が始まる前に、まず様々なオリエンテーションに参加しなくてはいけません。そういった集まりで聞く英語は、多少わかりにくい部分はあってもなんとかなるという感じでした。それでホッとしていたら、やっぱり実際の授業はそんなものではなかった…のでした。まず初めのコミュニケーション論、案の定半分以上わからない。ヤバイ。このままで大丈夫なのだろうか、と頼りないことを思いつつ今度はより実学に近いフィルムの授業。最初にとったクラスはカメラの基本構造や編集の概念など映画作りの基礎の基礎を勉強するものなのだけど、こちらの先生はより現場色が強くて、英語もよりカジュアル。おまけに生徒も留学生よりアメリカ人の比率が多く、会話が速くてついていけない。なんかゲームでのっけから強敵が出てきたような展開です。もっと英語やっておけばよかったなんてここで思っても、ホント、遅かったのでありました。
ルームメイトはメキシカン−その2。
ルームメイトがメキシカンなら、その友人はどんな連中だろう。偶然にも彼のコース(経済学の博士課程)に、日本で
知り合った女性−彼女も日本人だけど−がいて、早速共通の知人ができた。その気安さもあったのか、アパートには
ちょくちょく仲間が集まるようになった。聞くところによるとニューヨーク大学の経済にはイタリア系の教授をはじめとして
何故かラテン系が多いそうだ。で、ルームメイト−いい加減他人行儀なので、アレハンドロという名前で呼びますが−の
仲間もラテン系が多かった。私や日本人の友人が一緒のときは皆英語でしゃべるが、会話は往々にしてスペイン語に
シフトしてしまう。他にもアメリカ、イタリア、トルコなどの仲間もいたのだが、圧倒的多数を占めるのはスパニッシュ・
スピーカーたちだった。彼らでうらやましいのは、コロンビア、ペルー、ベネズエラ、チリ、そしてもちろんスペイン(多少
発音の違いはあるが)など異なる国の人間と母国語で話ができること。一体どんな感じなんだろうと日本人の私は
思うのだった。
アレハンドロ本人の言葉だが、スペイン語は比較的単純で覚えやすいとのこと。(つったって君ネイティブじゃん)どことなく
寅さんのような温かいべらんめえ調で−人にもよるのだろうけれど−覚えられはしなかったが、その響きには馴染むことが
できた。母音子音の発音がヨーロッパ言語にしてははっきりしているせいか、彼らに片言の日本語を教えると結構うまい。
アレハンドロも、私にかかってくる日本人の電話には「モシモシ、チョットマッテクダサイ」と上手に答えるようになっていた。
(まあ英語フランス語ができてドイツ語もちょっとかじってるから、言語のセンスがいいのかもしれないけど)
ルームメイトはメキシカン−その1。
初めの一年間は学校で紹介しくれたアパートに入った。最初は映画で見るような学生寮を想像していたのだが、
大学院の生徒は教授や一般の人も住んでいるアパートになるらしい。よって週末の乱痴気騒ぎや煙草とちょっと
違う煙の出る嗜好品とは無縁の生活を送ることとなった。しかし高い!大きめのStudio(ワンルームみたいな感じ)
が月割り計算にすると訳8万円ほど。学校の紹介だから安いのかと思っていたので痛い。まあ設備(24時間ドア
マンつき、一回にメールルーム、地下にはランドリーがある)と学校までの距離(走って一分)を考えるとリーズナブル
ではあるのだが。
広さは日本の小ぶりの2DKくらいはあるのだが、なんせいい歳の野郎二人が同じ空間で寝起きすることになるのだ。
これは相手次第では面倒だなと思う。もらった部屋割りには名前と国籍が書いてあるだけだ。"Alejandro
Solis,
Mexico"−まず読み方がわからない。一体何て呼べばいいんだ?
相方は夕方5時近くになっても姿を現さない。朝から引越し(それまで滞在していたマンハッタン北の安ホテルから
荷物抱えて移動してきた)で疲れたので、飯を食うことにした。確かテイクアウトの中華とかじゃなかっただろうか。
食事を終えて部屋に戻るとあたりも暗くなってきた。照明器具がついていないので(こういうアパートは結構多い)、
とり急ぎ買ってきたデスクライトを付けたが、薄闇忍び込むがらんとした部屋は独特の物悲しさだ。
6時過ぎ、軽いノックの後、ドアノブがカチャッと音をたてる。来たのか。ともかくドアの方に向かって行くと、そこに奴が
いた。
第一印象。極真空手で今はK-1にもでているフランシスコ・フィリョを、若くやさしく(本人もかなりやさしい顔だと思うが)
した感じだ。目を見た瞬間、こいつは大丈夫だ、と確信したのを覚えている。彼はどう思ったのか聞いたことはないが。
はじめに。
私は1999年9月から2001年7月までの約1年10ヶ月を、ニューヨークで過ごした。たまたま旅行で訪れたところ強盗に
一切合財を盗まれ皿洗いをしながら帰りの旅費を作った…のではもちろんなく、大学院に留学したのである。(こんな書き
出しにもオヤジらしさがふつふつ表れ、先が心配だなこのコーナー。)思えばあれから早くも2年。帰国直後に911の惨事
がおこり、アメリカもあの頃と全く同じ国ではないだろう。しかし今も自分の中でふつふつと感じるあの街での時間は、決し
てノスタルジーの産物ではない。型遅れになってきたパソコンを再インストールするように、少しだけ自分もリフレッシュされ
ていると思っている。このページを読んでくれた人がオヤジの思い出話として読むのではなく、そのささやかなリフレッシュ
のネタをシェアして役に立ててくれればハッピーなことだ。
1985年に旅行で訪れて以来好きになったニューヨーク。ワープロの単語登録では「に」と打てば、「ニューヨーク」と出るように
したのだが、実はこれが不便なこと極まりない。「に」のつく言葉をちょっと間違えて変換すると、画面が「午後、大講堂ニュー
ヨークて昼食」みたいな文章だらけになっているのだ。一度これに気づかずメールで送ってしまったが、テロ対策本部に見つ
かったらあらぬ誤解を受けないかと(ないと思うけど)心配で仕方なかった。
その後休暇や仕事で訪れてはいたけれど、「一度きちんと暮らしてみたい」という思いはつのるばかり。会社の研修制度的な
ものにも応募してもみたが埒があかず、こうなったら自分で行くしかないというのが結論。しこしこ英語を勉強して書類等を取り
寄せ、ダメもとで応募したところ何と入学許可が届いて、ここまできたら一念発起と歳を省みず日本を飛び出した次第でござい
ます。
「ニューヨーク行くぞ!」と決めたはいいけど、当時は留学についての知識もなく、妻になんて言おう、うっかり買ってしまった
マンションのローンもたっぷり残っている、とほとんど不可能に思えたものだった。幸い妻は、前々からの俺の気持ちにうすうす
気づいていて(つーかことある度に口にしていた)、「そんなに行きたいんだったら」とあたたかい理解を示してくれた。できれば
マンション買う前に言って欲しかった、というのはあったと思うけど。自分自身、近所に住む母親のケアや自分の仕事のことなど、
様々な問題もあったのに、この留学は彼女の協力なしではありえなかった。留学に限らず起業とか、何かを企んでいる貴方、
奥さんの理解が何より大事ですよ。
語学力も大問題のひとつ。もともと英語は好きで、いわゆる日本人の普通としてはそこそこかもしれないけれど、それとて道を
聞かれて何とかなる程度。学校行って毎日暮らして、というにはレベルが違いすぎる。それからお金。高いんですよ、NYも学校も。
たいした貯金も無いうえに、購入5年ほどでまだ利息を細々返しているだけのローン。それから仕事。この歳で辞めて、後どうする?
…等々。何度もフリーズしそうになったけど、あきらめきれない間はもがいていこうと、ひとつひとつ糸をほどいていったような感じの
日々だった。その頃よく頭をよぎったのは、日本の球界を引退して大リーグに挑戦した江夏投手の「いい夢見させてもらったわ。」と
いうひと言。夢は叶わんかったけどカッコええやんか、おっさん。結果がだめでも、それセリフはけるくらいは頑張ってみようと。そう
言えば渋谷陽一がレッチリを評して曰く、「ちゃんと戦った奴だけ敗北の無力感を歌える」(だっけ?)そういうことかもしれないなぁ。
これからボチボチ、思いつくまま書いこうと思う。期待せずに待ってておくんなせい。(でも約束は守るよ。)

〈学生仲間のパーティ。ビールはこんな感じで。〉